【協会】旅、時々ユースホステル『ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ』vol.4



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

ドイツ人の元ヘルパーによる
『自転車で日本一周というチャレンジ』


パート1の話はこちら
パート2の話はこちら
パート3の話はこちら



パート4 旅の後


◆よく聞かれること

日本一周を終えてから、よく聞かれた質問をここで回答したいと思います。

Q.一番よかったのはどこだったか?

A.沖縄と北海道。

沖縄の海はきれいでのんびりに過ごせるところが好き。
北海道は大自然に癒やされるところが好き。


▲北海道

Q.一番怖かったのは何ですか?

A.初めての野宿以外は、トラックが通ってくるとき。

たいていのトラックはある程度の距離をおいて通るんだけど、
時々ものすごく近い距離で通ってることもあった。
後ろに振り返るとハンドルを片方に向けてしまう傾向があるから、
トラックが近づきてくる音を聞くと後ろを見ないで、
できるだけふらふらしないでまっすぐに走るようにしてた。

Q.パンク、自転車修理とかは?

A.実は、旅してたときに一度もパンクしたことはない。

なぜかというと、パンクしにくいタイヤをつけてたからだと思う。
それにかかわらず、予備チューブと最低限の修理道具を持ってた。
スポークが合計3本折れたけど、たくさん折れない限り、そのまま走り続ける。
次のスポークが折れる前に、できるだけ早く
どこかの自転車屋さんに直してもらうようにしてた。

あるとき、チェーンが外れてフレムとギアの間に挟まれたことはあったけど、
同じ自転車で日本一周の旅人に助けられた。
それから、自転車屋さんのメンテナンスのおかげで他にトラブルはなかった。

Q.災害の時はどうしてたか?

A.不運なことに2018年は自然災害が多かったが、
台風と大雨は天気予報のおかげで避けることができる。

それをあたる日を休みにして、自転車の保護対策を行う。
自転車を宿の中に入れることは可能であれば、宿に入れる。
そうでなければ、雨の場合はカバーをかける、
台風の場合は丈夫なものに固定する。

地震だけは計画的に避けられないので、常に覚悟をしていた。
大阪府北部地震のときは舞鶴辺りに自転車乗っていて、
震度2なのに何も気づかなかった。

北海道胆振東部地震のときは全く違うところにいたので影響はなかった。
それでも、いざという時の為に、防災装備品と食料を持ってたので、
最悪のときは、自給自足でなんとかやっていけたはず。

◆私を前向きに変えた旅

長い坂道を越えること、怪我をしたのに走り続けること、
日本一周そのものは、できると思ってなかったことを
できるようになった。

結果として、大概のことは本気でやろうとしたら、
何でもできるようになれるという自信がついた。

旅が終わって数ヶ月後、もう一つのことに気づいた。
普通の日常に戻るとその一度の成果はただ過去の一度のことになってしまう。
常に何かをチャレンジしていないと普通のままに戻ってしまう。

でも私はまだまだ前に進みたい、まだまだやりたいことはたくさんある。
だから、これからの人生は常にチャレンジし続くことを決心した。

◆日本一周して思ったこと

日本は北海道から沖縄まで南北に長いため、
いろんな豊かな自然で美しい。

同じ国なのに各地に異なることが多く、
発見できることも多い。

そして、日本人の優しさをさらに感動した。
旅中でいろんな方々に助けていただいた。
さっきまで知らなかった人の家まで誘われることなんてドイツで普通はないことだ。

時々差し入れを頂くのも大変嬉しいことだった。
一番心強かったのは走ってたときに応援されたこと。
そういうときに、自然ともっと頑張りたくなる。

省みると、自分だけでなく、いろんな方々のおかげで、
自転車で日本一周を達成することができた。

皆さん、本当にありがとうございました!!


Writer: Wanying Tu
高校と大学の間に、1年間ワーキングホリデーで日本に。
その際に宇多野ユースホステルでヘルパーをしました。
ドイツ生まれ、ドイツ育ち、中国系のドイツ人です。
なぜか母国語であるはずの広東語より日本語のほうがぺらぺら。
「えっ!日本人だと思った!」というリアクションを旅で毎日のように経験しました。

過去の記事
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.1
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.2
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.3


カテゴリー: ニュースリリース, 旅(ホステリング), 記事/旅紀行   タグ:   この投稿のパーマリンク

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