■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~
旅のあれこれ 『ルンピニ・ファイトクラブ』
物事はめまぐるしく移り変わるものです。
諸行無常、盛者必衰、不変なものは何一つありません。
だからこそ、旅で見た風景は自分の中に美しく甦るのかも知れません。
僕が物心ついてから始めての海外は、家族旅行で行ったタイでした。
当時まだ中学生、今から約15年ほど前のお話です。
今やすっかり発展を遂げ、東南アジアの先進国となっているタイですが、
当時はまだまだ「発展途上国」の状況を脱せていませんでした。
首都バンコクでも道路は穴だらけ、粗悪ガソリンの排気でスモッグが酷く喉はひりつくし、
信号は誰も守らないし、一歩路地に入れば暗がりでおっさんが座ってるし、
とにかくとんでもないところでした。
父は海外慣れしているので夜でも平気で歩いていましたが、
母・僕・弟はかなりびびっていたことを記憶しています。
確か5日間ほど滞在していたと思いますが、
ある日、タイの国技である「ムエタイ」を見に行くことになりました。
ムエタイとは、肘・膝での攻撃も可能な凶暴なキックボクシングです。
バンコク市内には当時、最新の設備が備わっているエアコン付きの所と、
トタン葺きの屋根に巨大なプロペラファンが付いているだけの半野外の所、
2か所で両極端のムエタイスタジアムがありました。
そんな情報をガイドブックで仕入れていた僕は、
「まあお母んも弟もおるし、さすがに綺麗な方の
スタジアム行くやろ」と思ってたんですよ。
泊っていた所からタクシーでスタジアムに向かったのですが、
どんどん周囲が暗くなっていくんですよ。
「あ、これあかんやつやで」と思ったのもつかの間、タクシーが止まりました。
あかんやつでした。
もうね、むっちゃガラ悪いんですよ。
東南アジア特有の「何してるのか全然わからん人」だらけなんです。
母・弟、無論僕もドン引き。
父だけテンション上がってました。
中に入るととにかく薄暗い。
ガイドブックの写真より3段階ぐらい薄暗い。
とても真っ当な商売やってるとは思えない。
設備もあまり整っていないようで、駆け出しのボクサーなんかは
通路で控えさせられたりしていました。
ボクサーの体を間近で見ることなどないので、それは嬉しかったですが。
席はリングサイドとってくれてたみたいで、文字どおりの特等席でムエタイ観戦ができました。
どうやら少し前から始まっていたようで、すでに2試合目に突入していました。
ムエタイはボクシングと違い、3分間のファイトを3ラウンド行って、
ダウンが取れなければ判定、という競技です。
必然、短期決戦になるので激しい攻撃の応酬になります。
中学生の僕は、夢中になって戦いの行方を追っていました。
2ラウンド目の終わりぐらいから、様子がおかしいことに気づきました。
何というか、観客席が異様な盛り上がりなのです。
スタジアムはリングサイドが一等席、リングに近いスタンド席が二等席、
リングから最も遠い三等席に分かれており、それぞれが金網で隔てられていました。
その金網にしがみついて、観客(ほぼおっさん)がリングに叫んでいるのです。
よくよくみると、おっさんのなかにリングに
背を向けているのが数人おり、
市場のセリのような動きをしています。
試合は3ラウンド目にさしかかり、盛り上がりはピークに達します。
ものすごい剣幕でリングに絶叫するおっさん達。
まるで動物園のよう。
既にうすうすお気づきの方もいると思いますが、
おっさん達は完全に博打打ってます。
現金がかかっているからこその応援なのです。
360度パノラマで響くおっさん達の怒号。
めまぐるしく殴り合うリングの中の二人。
異様な熱気、異臭。
まさにカオスの極みでございます。
ただ圧倒され、見ている事しかできませんでした。
当時13歳の僕は、始めて異文化に深く触れた気がしました。
なにかわからないものにに触れる楽しさに気付いたのは、
たぶんこのときだと思います。
そんな思い出の地でもあり、バンコクの一押しスポットのルンピニスタジアムですが、
施設の老朽化が原因で去年閉鎖されてしまったそうです…。
これを聞いて非常に残念に思い、この文章を書き上げた次第です。
冒頭にも書いたとおり、不変なものは何もありません。
今しか見られないものを見に、ちょっと背伸びして旅にでるのもいいかもしれません。
Writer:新倉 遊
1988年生まれ。名前を読んで字の如く、
沖縄・奄美・欧州・東南アジアを遊んで周っておりました。
夢は世界一周と自分の宿を持つこと。素潜り大好き。
現在京都ユースホステル協会職員。