【協会】旅、時々ユースホステル『僕とオーストラリア』



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~
僕とオーストラリア



今回でこのエッセイが掲載されるメールマガジンがなんと記念すべき100回目!
そんな記念すべき場で書かせていただくことを光栄に思いながら
文字を打つ手は震えています。笑

今回は私の大好きな国、『オーストラリア』へ
初めて行った時の事を書きます。

私が初めて国を飛び出たのは大学2年生の時でした。
「旅」というよりは大学の短期海外研修なのですが、
私にとって大きなカバンを抱えて国外へ出ることは
その当時初めての大冒険でした。

行き先はオーストラリア、メルボルン。

人口409万人、
2010年から5年連続で「世界で最も住みやすい都市」に選ばれた都市
…という情報など知る由もなく、カンガルー、コアラ、
ミニチュアツキノワグマ(タスマニアンデビルという名前は帰国してから知りました)がいる国、
という非常にシンプルなイメージを頭に思い浮かべながら意気揚々と日本から飛び立ちました。

メルボルンの玄関口タラマリン空港に到着して
すぐにホストファミリーのもとへと移動。

日本とは全く別物の景色や空気を、肌を震わせて感じながら
車に揺られ小一時間、郊外の住宅街に建つ一軒家のインターホンを鳴らし、
中から出てきたのがIronさん。

大柄・強面・無口と、風貌からも名前からも
ター○ネーターを彷彿とさせる方でした。

彼は到着早々、私の顔ほどある巨大サンドイッチをテーブルの上に置き、
一言、”Are you hungry?”と言いました。

私にはそれが「あなたはお腹が空いていますか?」ではなく
「食え。」にしか聞こえませんでした。

私はその巨大サンドイッチを、彼が異様な威圧感を放ちながら
新聞を読む横でこの上ない静寂の中、
恵方巻きのように一点を見つめながら食べました。

それはそれは美味しかったです。
味の事など覚えていませんが…

その後部屋に案内されゆっくりしていると
Mary夫人がご帰宅。

挨拶を済ませ、他にもハウスメイトがいたので
みんなで写真を撮ろうと私が言い出し、
いざカメラを取りに行くとカメラの入ったポーチが無い!

家にいる全員と様々な可能性を考慮すると、
飛行機の座席下に忘れたという事が発覚しました。

しかし明日からは研修先の学校へ行かなければ…どうしたら……
という考えよりも言いだしっぺなのになんてカッコ悪いんだと考えていました。

そして幸いにも翌日休みというハウスメイトの
インド人学生Ashwinが道案内に名乗り出てくれたので、
翌朝泣く泣く学校は初日から休み空港へ急行しました。

いざ空港に着いてまず二人が向かったのはなぜかマクドナルド。
これはAshwinの提案で私は止めたのですが、
どうしてもハンバーガーが食べたいと聞かないので
「急いでいるのになあ」と思いながらも渋々…(以下略)

そうして二人はダブルチーズバーガーを頬張りながら
空港内のインフォメーションセンターへ。

私は拙い英語と会心のボディランゲージを
ダブルチーズバーガー片手に駆使し、「なんか変なヤツ来たぞ。」と
終始半笑いのセンターのおばちゃんへ無くしたカメラについて猛烈アピール。

そして何と幸運にもカメラの入ったポーチが届いており奪還することができました。

街まで戻ってきた時にはもう夕方で、ボディランゲージで
力を使い果たした私はヘトヘトで家へたどり着きました。

家に帰るとIronとMary夫人が外でテレビを見ていました。
私がカメラを取り戻したことを伝え、改めて写真を撮ろうと誘うと
一番乗って来なさそうなIronが一番に立ち上がり
Ashwinにカメラを持たせ私の横に立ちました。

彼は昨日とはうってかわり、ニコっと笑って私の肩を抱きました。

そんな彼はちょっぴり酒臭かったですが、
初めての海外で初めて撮った写真がこの一枚でした。


(右がMary夫人、左がIron)

たった一日の出来事の中で、
今まで知らなかった人と肩を抱き合って笑う
という今までになかった新しい交流を
私はこの時初めて体験するのでした。

ここからまた私とオーストラリアとの関係が始まるのですが
それはまた別の機会に…。

国内であれ海外であれ、
旅をして人や場所と出会う、交流するということは
それだけで一生の価値になるものだと思います。

私は普段からそんな仰々しいことを考えて
旅をしているわけではありませんが、
せっかく旅に出るなら旅先で楽しくしたいですね。

こんなことを書いていると旅に出たくなってきました!
旅はいいですね。


Writer: 吉村伊久人(Yoshimura Ikuto)
1992年”ギリギリ京都市”の異名を持つ僻地、山科区生まれ。
オーストラリアでの一年のワーキングホリデーを通して旅に目覚めました。
様々な場所から京都に来られる人をもてなす仕事がしたかったので
現在宇多野ユースホステルのスタッフとして働いています。

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