■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~
わたしの旅のきっかけ~列車と青春18きっぷとユースホステル
わたしはよく列車に乗って、旅をする。
新幹線で一気に行くのも気持ちがいいが、すこし物足りない。
そう各駅停車でゆっくりと行くのがいい。
鈍行という響きがしっくりくる方もいると思うが、
そんな方はきっとユースホステルに馴染みがあるのではないだろうか。
そして乗り継ぎの旅には「18きっぷ」という
ちょっと不思議で便利な乗り放題切符がある。
Under 18の若者はもちろん、中高年のかたにも愛されている、
ゆっくり旅好き通にはおなじみのJR各社共通の「青春18きっぷ」。
春・夏・冬の休暇シーズンのみ発売される。
▲向かい合いの座席では、時より旅人同士、地元の方のとの語らいも楽しみです。
一日中乗り放題。ただし普通(各駅停車)と快速だけ。
この自由が出発前からわたしの頭のなかで想像を掻き立て、
いくつもの旅程を作り出すのが常だ。
しかし、出発してみると、計画はいつも変わる。
いやあえて予定変更をしたりする。
車中で気になった景色を求めてとか、
乗り換え駅でついついゆっくり街ブラしてしまって、
一本遅らせてとか。
時には宿も決めずにふらりと行ったりもした。
そう元々きっかけは、地元山形から京都への、
母と息子の二人旅でした。
できるだけひたすら乗り継いで、乗り換えの時間で
駅の周辺を散策するそんな旅。
今考えれば、母は文句もいわずによく付いてきてくれたものだ。
あれは小学校高学年の頃。
わたしは幼い頃から電車好きの少年で、張り切って計画していた。
▲左沢(あてらざわ)線と呼ばれるこの路線からいつもわたしの旅は始まっていました。
路線には果樹園や田んぼも多くのどかな風景が望めます。
出発。
始発で山形からまずは福島を目指し、東北本線で東京へひたすら乗り継ぐ。
宇都宮からは快速に乗れ、車窓は少し早く動いていく。
上野に着いたのはすでに昼過ぎだった。
にぎやかな都心をさっと乗り継ぎ、新宿から中央線を下る。
立川で、甲府で、そして小淵沢で乗り継ぐ。
そう小淵沢では乗り継ぎ時間が長く、名物の駅そばを食べた。
高原らしく、田舎そばの少し太めの麺に、甘めのつゆ。
うまいッ。
といっても駅そばなので、特段凝っているわけではなかったのだが、
腹ペコの乗り疲れた体には美味しかったのだ。
田舎そばでも山形とは少し違うテイストに異文化を知ったのもこの時だったっけ。
乗り継ぎ地点のひそかな(いや大事な)楽しみ、
ご当地の気軽なグルメを探すきっかけは、この駅そばからだった。
その後上諏訪駅で降り、日が暮れて
諏訪湖畔のユースホステルに着いた。
暗くて疲れたが、またもびっくりだったのだ。
それまではユースホステルに知識はなく、
ただ相部屋の安宿というイメージしかなかった。
だが、そこは違った。
趣のあるオーナー手作りのオーナー手作りの枕木小屋
「おしゃべりハウス」があり、温泉もある。
部屋も泊まったのは決して広くはないところだったが、
家族向けのツインで居心地が良い。
B&Bといって、そこはベッド(部屋)と朝食のみの提供
というスタイルで、無駄がなかった。
ご飯が美味しかった。
ただ乗り継ぎのためにYHのガイドブックから
ちょうどよい所を選んだだけなのに、意外な発見だった。
YHに興味が湧いたのはこの頃から。
ちなみにまた来ようと誓ってからまだ行けていない。
◇リンク: スワコユーペンハウスユースホステル / Suwako Youpen House Youth Hostel
http://www.jyh.or.jp/info.php?jyhno=3614
http://www.youpen.com/
翌日は、中央線から大糸線、いまや一部
3セクとなった北陸線を乗り継ぎ、小京都 金沢へ。
当時NHKの大河ドラマで放映していた、「利家とまつ」を観て
前田家の城下町というものを訪ねてみたかったのだ。
日本三名園のひとつ「兼六園」は、池泉回遊式庭園というらしいが、
本当に広く立派であった。
その後、立派な活気のある「近江町市場」や、
風情のある石畳の「ひがし茶屋街」を歩き、お店を巡ったり、
お茶をしたりして、親子とも満足した。
宿泊は金沢市街を一望する卯辰山公園にある
「金沢ユースホステル」へ(現在は閉館)。
二段ベッドの古い建物だったが、
開放的な雰囲気でゆっくり過ごせたのを覚えている。
さてこの後、いよいよ京都へ向かうのだが、また次回……。
きっかけは、一週間ほどの夏休みを安く遠くへ
長い期間旅したいだけだったのに、
いつの間にかとりこになった電車の旅。
青春18きっぷとユースホステルは、その後現在に至るまで
私の旅に欠かせぬものになっている。
Writer: 木村大地(Kimura Daichi)
出身は山形。各地のローカルな魅力をみつける旅が好きな1988年生まれ。
「人生は旅、旅は人生」を掲げ、いつの間にか日本各地に住んでいました。
大好きな京都に住んで、歴史や文化に触れてゆきたいと、
京都ユースホステル協会の職員として働き始めました。