【協会】旅、時々ユースホステル『たびたびAussie旅~珈琲キャンディー~』



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

たびたびAussie旅~珈琲キャンディー~


今から20年以上も前の話しである。
オーストラリアでも「サウスウエスタン」というと
日本ではあまり馴染みのない地域だろう。
西オーストラリアの州都パースの南側、
ちょうどオーストラリア大陸南西部の端の地域である。


▲地図引用google

鉄道が少ないこの地域では、
多くの旅行者がここを訪れる際には車を利用する、
というか利用せざるを得ない。

ツアーバスやレンタカー、他の旅人との
相乗りをして訪れるケースが多い。
長距離の路線バスもあることはあるが、
一日に一本、つまりその日一回下車をすると
その場所で一泊しなければならなかった。

私が選んだのはそんな不便な路線バスの旅であった。
レンタカーが借りられないほどお金を持っていなかった
わけでもなく、単に時間だけは余裕があったので
予定を立てない旅がしたかったのが本音だったと思う。

南オーストラリア州「アデレード」から長距離バスでナラボー平原を抜け、
西オーストラリア州ゴールドラッシュで栄えた内陸部の町「カルグーリー」まで移動、
そこからは件の路線バスで「エスペランス」、そして
古い港町「オールバニー」という町を経由し西へラウンドしていた。


▲カルグーリーは内陸部乾燥地帯の町


▲エスペランス近郊のラッキーベイ


▲オールバニーのドッグロック

そして次の町「ペンバートン」は巨木に囲まれた
正に「森の町」と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂っていた。
(注:地図中ピンを刺したあたりの町)

町の産業はその森の木を使った
林業であることは想像できる。
しかしながら私が到着したその時は
産業に関わる匂いは全くせず、
町全体はひっそりと静まりかえっていた。

まずは町に何軒もない宿でチェックインを
すませ、大きな荷物を預け手回り品を
リュックに詰め込み早々に外出した。
ここに来た理由、町から4kmほど離れた森の中で
「60mを越える巨木に登ることができる」
という情報を得ていたからだった。

今と違ってこの頃はインターネットもなく、
もっぱら情報源は「口コミ」が中心。
実際に行ってみないとその情報が
本当かどうかも分からない、
しかしそれも旅の醍醐味である。

うっそうとした神秘的な森とは対照的に
きれいに舗装された道路に若干の違和感を持ちつつ
地図を片手に目的地を目指し、道路の端を歩いていく。
稀に車が通り過ぎていくだけ。

歩きはじめて早々に、周囲は巨木に囲まれて昼なお薄暗い。
その景色はまるで太古の昔にいるような錯覚に陥る。
何百年という歳月を重ねた巨木の大群の前では、
自分を含め人間の何と小さく頼りない
存在なのかを改めて感じてしまう。

小一時間は歩いたであろうか、
目的地が近づいてくると意外なほど人が集まっていた。
先ほど横を通り過ぎて行った車も脇に駐車していた。

そしてそして
目の前に大きく立ちはだかる
「登れる巨木」が正体を現した。



目の前に姿を現したその巨木は
「グロスタートゥリー(The Gloucester Tree)」
と名づけられており、元々はブッシュファイヤー(山火事)
を発見する「火の見櫓」として作られたものらしい。
レジャーやスポーツの為のツリークライミング
ではないということである。

そして登るといっても、木の幹に鉄の杭が
螺旋状に打ち込まれているだけといった質素なもので、
登っている最中に足を滑らしたらと思うと寒気がした。

特に高所恐怖症の私としてはかなり躊躇したが、
縄梯子に比べれば安定はしていると、
勝手に自分自身を安心させ、
「せっかくここまで来たのだから」
という好奇心が勝ちトライする事にした。

先ほど記述したように螺旋状に杭が刺さっており
そこに足をかけて登る為、後ろから誰かが
登ってくるともう引き返せない
(登って良いのは6名限定らしい)。



とにかく下を見ないように一歩一歩杭を踏みしめて登った。
ちなみに「登るのも(落ちても)自己責任で」という
注意書きがあったのは後になってから知った。
お国柄である。

うっそうとした森であった木々を抜けると頂上が見えてきた。
そこにはハックルベリーの秘密基地のような情緒はないが、
がっしりとした鉄製の展望台があった。

そこからの眺めは、これまた正に
「緑のじゅうたん」とでも言うべき、
どこまでも続く木々の葉っぱが織り成す
素晴らしい緑の風景が広がっていたのであった。



しばらくそんな風景に見とれていたのだが、
気が付けば先客がいた。来ていたのはなんと
日本人の若いカップルで、話を聞くと
レンタカーでこの周辺を旅しているとの事。

衝撃だったのは男性の出身地。なんと
私の実家から徒歩で10分ほどの所に住んでいた。
日本から8,000kmも離れた異国の地、しかも60mの木の上で
まさかご近所さんに出会うとは思わなかった。
世間は狭いと言わざるを得ない瞬間であった。

そして、ひとしきり地上60mでの時間を過ごした後、
再度ドキドキしながら螺旋状の杭に足をかけ降り始めた。
地上に着いた時には「あぁ地上はいいなぁ」と
今まで普通に過ごしていた地面のありがたみを
感じずにはいられなかった。

町へ戻るのに先ほどの日本人カップルが
車で送ってくれるそぶりを見せてくれたが、
もう少しその場でゆっくりしたかったので
先に出発してもらった。
(ちなみに彼らとはまた別の場所で偶然の再会を
するのだがその話しはまた別の機会に。)

その後やってきたでっぷりお腹のいかにもな
オージーの老夫婦(例外もいるけど)と
片言の会話を楽しみ、ようやくグロスタートゥリーとも
お別れをしてその場を後にした。

町まで1時間の帰り道、どこまでも続く森の
回廊を歩くことは決して苦ではなかった。
これが、ひっきりなしに車が通る東京青山の
246号線あたりなら、とっととタクシーでも
拾いたくなる所だ。

そんな気分で歩き始めて15分ほど、1台の車が
後ろから私の横を通り過ぎていくのかと
思いきや突然目の前の路肩で停まった。

「よかったら町まで乗せてあげるよ。」
と目の前で停まった車から声を掛けてくれたのは
中国系シンガポール人の若夫婦。
まさに逆ヒッチハイク。

歩くのは苦ではなかったが、これも縁だと思い
ご厚意に甘えることにした。

車内で聞けば、彼らもまた60mの
グロスタートゥリーを見に来ていたと言う。
もっとも彼らは怖くて木には登らなかったそうだが。
そして帰りの道すがら、一人歩いている私を目撃し
困っている同郷人を助ける気持ちで停まってくれたそうである。
乗せるまで、私を日本人とは思わなかったらしい。
この鬚面では仕方ないか。

町中まで乗せてもらい、お礼を言って別れた。
親切がその場で返すことができない分、
他の人へ親切をせねばといつも思ってしまう。

その後数軒しかない町中のクラフトショップなどを散策し、
翌日のバスが早いこともあり宿に帰り早々と寝ることにする。

ドミトリー(相部屋)の二段ベッドの上段、
階段も何も付いていないので、
自分のバックパックに足を掛けベッドに上がる。
他の人はどうやってあがるのか不思議でしょうがないが
それを確認しないまま深い眠りについていた。

翌朝午前5時半、簡単に荷物のパッキングを済ませ
夜明け前、まだ薄暗い中をバス停に向けて出発。
町中は薄っすらと霧がかかり昨日ここに着いたときより静かである。
もちろんあたりには人っ子一人いない。

バス停には定刻の20分前には着いた。
なんせこの国では定刻前にバスが到着しても
定刻を待たずにそのまま出発してしまう事がある。

「本当にバスは来るのだろうか?」
頭の中を不安がよぎった。
思えばこの旅を始めて以来、
毎回そんな気持ちになっているようだ。

そしていつものように、そんな思いは
取り越し苦労に終わりバスはやってくる。
今回も定刻を少し過ぎてバスは到着した。

路線バスではあるが、長距離用の大型バスである。
乗り込むと客は私一人。
一応全席指定になっており、もちろん
私の座席も決まっているのだが、
愛想の無い運転手はどこにでも好きな席に座れと言う。
必然的に運転手の真後ろ、一番前の座席を陣取った。
そこは運転席より一段高くなっており前方の視界は
すこぶる良好な場所である。

今日はオーストラリアの最南西端の町
「オーガスタ」で泊まる予定。
南氷洋とインド洋がぶつかる岬を見にいくのが目的だ。

そんな思いにふけっている内に、
あたりが徐々に明るくなってきた。

ふと、無愛想な運転手が顔は前を向きながら
左腕を後ろに回し「これ、なめな。」と
珈琲キャンディーを私に差し出した。

一瞬面食らったが、素直に受け取りすぐに口の中に投げ入れた。
朝食抜きだった事もあり、そのほろ苦く甘いキャンディーは
今までに無くおいしく感じた。

次はどんな出会いが待っているのだろうか。
運転手と客一人を乗せたバスは
朝もやがかかる中を西へと走り続けた。


Writer: 佐藤 隆芳(Sato Takayoshi)

京都ユースホステル協会職員。東京出身。20代半ばに2年程、放浪の旅に出る。旅の中でのひとやもの、文化などの出会いや交流を通して自己成長をした体験を、これからの若い人にも経験してもらいたいなぁと思っています。3児(いずれも男)の父。




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