■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~
祈りの国ミャンマー・ぐるっと一周旅/後編
今回は前編の続きをお伝えする。
ミャンマー第二の都市マンダレーで起こったアクシデントとは・・?
祈りの国ミャンマー・ぐるっと一周旅/前編はこちら
◆Day6 バガンからマンダレーへの船旅
この日はバガンを離れ次の都市マンダレーへと向かう。
移動方法はバスが主流だが、ミャンマーで最も重要な川
「エーヤワディー川」を北上する形で移動できると聞き船旅を選択。
早朝4時台。船着場に向かっている途中で偶然出会ったのは小さな僧侶たち。
寝ぼけ眼をこすりながら大型トラックの荷台から降りてくる子どもたち。
少なくとも40人はいただろうか。
この時偶然出会ったのは托鉢の光景だった。
朝早くから鉢をもった小さな僧侶が列をなす。
僧侶への「寄進」は仏教徒にとって徳の高い行い。
とはいえ、ご飯を用意する方も大変だ。
▼エーヤワディー川をゆくクルーズ船
船着場へ到着してもあたりは真っ暗。
実は今回の船旅、エーヤワディー川から拝める朝日が良いのだそう。
船に乗り込み出発を待つ。
出発してから数十分。あたりが段々明るみ始めた。
そのさらに数十分後、朝日が顔を出す。
空が明るみ始めてから約2時間後、
とても幻想的な風景に包まれた。
上の画像、加工は一切していない。
朝日の強烈な光に包まれた船客はみな
この光景に息を呑まずにはいられなかった。
横切る船と朝日のセットがなんとも言えない。
川沿いに住む人々にとってこの光景は日常の一部分なのだろう。
いつも通りと言った体で進むこの船が
私にはとてつもなく羨ましく思えた。
北上中、川沿いに住む人々の
暮らしの様子を垣間見ることができる。
家々が立ち並ぶ光景や、
放牧しているようす
さらには旅行者向けの地図アプリには
名前の載っていない村で金色に輝く仏塔…。
このような光景を見る度に観光地ではない「普通」の地で、
そこに住む彼らの生活を覗いてみたいと強く思う。
彼らはどのような暮らしをしているのだろう。
純粋に、彼らの当たり前の暮らしを見てみたいのだ。
夕方に差し掛かる頃、10時間越えの船旅を終えマンダレーに到着。
この時間でも容赦なく照りつける日差しに目を細めながら、
その日の宿へと足を運ぶのだった。
◆Day 7-8 マンダレー
7日目のこの日は朝からミャンマーでも有名なある場所に向かっていた。
その名は「マハーガンダーヨン僧院」。
子どもから老人まで幅広い年代の僧侶が
1000人以上集まる托鉢風景で有名な僧院だ。
沢山の僧侶が列をなす圧巻の風景だ。(8日目撮影)
さて、ここで私の身にあるアクシデントが起こる。
僧院に到着後托鉢が始まるまで時間を持て余していた私は
院内に沢山いる犬や猫の写真を撮っていた。
暑い日差しを避け建物の脇で眠たそうにしていた犬や猫たち。
夢中になって屈んで撮っているとふと膝に重みを感じた。
見ると茶トラの猫が私の膝に手をかけ、今にもジャンプしそうな勢い。
間髪入れず膝にずっしりとした重みを感じると、
それと同時に何かが刺さる感覚が走った。
・・・結論を言うと、猫に引っかかれていたのだった。
膝に乗った猫を地面に降ろして急いで傷口を確認する。
服の上からだったので目に見える範囲は小さいものだったが、
血が滲む傷は深そうで周囲は真赤に腫れていた。
それを見てふと頭に浮かんだのは、狂犬病のことだった。
そんな大げさな、しかも猫・・・と思われるかもしれないが、
ここマンダレーにはそう思わせる要素が揃っていた。
①野犬が大変多い地であること。
この街に来たときから感じていたが他の街と比べ物にならないほど多い。
しかも少し凶暴で毛並みが良くなく、比較的安全だと言われた
夜道を歩くのも野犬のせいで気が引けるほど。
②ミャンマーの、特に都市部の狂犬病による死者数が
世界的に見ても多いこと。(この件は統計資料などにも載っている)
上記2点を考えたとき、突然得体の知れない恐怖が私を襲った。
今まで旅をしていて怪我に襲われたことなどなかった私は(常に気をつけてはいた)、
すぐさまスマホを取り出しマンダレーの病院について検索。
その時運良く辿り着いたのは、
マンダレーで狂犬病ワクチンを暴露後(噛まれた後)に接種した、
という日本人のブログだった。
(http://watatobu.blog.fc2.com/blog-entry-810.html)
急いでタクシーを手配し運転手に事情を伝え、
やってきたのはブログに載っていた公立病院の急患受け入れ室。
看護師につたない英語で事情を説明すると、
ひとりの若い女性医師がやってきた。
同じように事情を説明し狂犬病の英語名(Rabies)を見せると、
「わかった、狂犬病のワクチンね」「在庫はあるから大丈夫よ」
と不安げな私を安心させるように言い待つこと数十分。
公立病院のためか※、隣の急患との仕切りはなかった。
※後に知るのだがミャンマーでは私立病院のほうが良しとされている。
公立病院は私立ほど質が良くなく、この一件のあと現地の方には
「私立病院を使いなさい」という助言も受けた。
ただ、公立病院はミャンマー国民だけでなく
外国の旅行者も治療費は無料のようだ(2019年2月時点)。
交通事故直後だろうか、顔や頭から血をダラダラと流す男性がいる一方、
それを時折気の毒に見つめながら和気藹々と話をする
おばちゃんたちが同居する空間に衝撃を受けつつ待つ。
その後先程の女医さんがワクチンを打ってくれ、
今後の接種についての説明(狂犬病は暴露後の接種は受ける間隔と
回数が厳密に定められている)を受けたあと帰された。
▲膝に乗った瞬間運良く撮れた猫の写真。
長く書いてしまったが、これが私が被った
アクシデントの一部始終だった。
この間一時間ほど。
幸いにも先人が残してくれた情報ですぐに病院に向かうことができた。
それに感謝する一方、この出来事を通じて触れたミャンマーという国の衛生・医療事情。
結果的に、その後のワクチン接種は問題なく進んだ(ミャンマー、ベトナム、タイにて)。
ただ、旅を振り返ってみて
一番考えさせられることの多い経験だったことは確かだ。
◆Day 9-11ニャウンシェ(インレー湖周辺)
▲インレー湖名物、足漕ぎ漁師。
突然のアクシデントに見舞われたため、
予定より一日遅れの到着となったのはこの旅最後の地・インレー湖。
ここはそれまで訪れた地とは少し違う雰囲気の漂う、
風光明媚なミャンマーのリゾート地とも言える場所だった。
ここでは湖畔のサイクリングや水上観光が楽しめる。
水牛を操る地元の子どもたち。
名物になっているインレー湖で暮らす人々の水上ハウス。
独特な形をした船はここに住む人々の大事な生活の足。
サイクリング中、ふと目に入ったのが道路の舗装工事の風景。
よく見るとサンダルで素手といった
まさに「軽装」といった出で立ちの
女性たちがせっせと石を運んでいる。
現地の人々は何気ない日常の風景と捉えるのかもしれない。
ただ私には危険という二文字しか思い浮かばなかった。
単にインフラ整備といっても整備する人々の意識も
一緒に変えていかなければ、防げるはずの
怪我や危険な事故に繋がりかねない、そう思わされた光景だった。
▲私が思う世界一の宿「Song of Travel Hostel」(ニャウンシェ)。
写真は朝日とヨガクラスの光景。
さて、このインレー湖周辺の滞在でお世話になったのは
「Song of Travel Hostel」という宿だった。
この宿には特別な思い入れがある。というのも、
そこにいる全てのスタッフの「おもてなし」の心が素晴らしかったからだ。
清潔な空間、美味しいご飯はもちろんのこと、
曜日毎に開かれる様々なイベント(近隣の洞窟ツアーからビルマ文字講座まで)や
そこに滞在する全ての人々についてスタッフ全員で共有する心配り。
(なんと名前をスタッフのみんなが覚えてくれる!)
バックパッカーにとって、滞在する上で全てにおいて
「最高」と言いたくなるホステルだった。
私はわずか2泊の滞在だったが、定められたワクチン接種のこともあって
ここのスタッフには大変お世話になった。
(近場の病院について訪ねると次の日には
みんな事情を知っていて心配してくれた。)
まるでみんなとファミリーになったかのような、
そんな心地よいホステルだった。
▲特に思い出深い名所・カックー遺跡。
インレー湖畔から車で片道2時間以上の
道のりを経た山中、その遺跡は突如現れた。
カックー遺跡と呼ばれるこの地は、
多民族国家ミャンマーをあらわす場所でもある。
詳しい解説は他サイトに任せるが、
ここは少数民族・パオ族をはじめとする
いくつかの民族の融和を象徴する地でもある。
裸足で一歩進むと、仏塔の上部から
風になびく風鈴のような「しゃらららん」
といった心地よい音が聞こえてくる。
その音に耳を澄ませながら
沢山の仏塔が立ち並ぶ間をゆっくりと進む。
ここは神聖な地でありながら
どこか落ち着く、そんな場所だった。
このエッセイの前半冒頭、私はこの国を仏教国と呼んだ。
しかし国民全てが仏教徒という訳ではない。
昨今国際ニュースで耳にするロヒンギャの人々は
イスラーム教徒であるし、この国は土着の信仰も含めた
多様な信仰や民族が混在している。
私自身この旅を通じて、祈りとは何か、
寄付や徳を積むとは何か、また多民族国家とは何かを
考えるきっかけをミャンマーの人々からいただいた。
私が2週間弱の滞在で目にしたものは、
たとえ民族が違っていてもそれぞれが信じるものを大事にする
「祈りの国」としてのミャンマーの姿だった。
それと同時に、この国が抱える社会問題や
ロヒンギャの人々へのネガティブな感情など、
この国を語るには避けて通れない部分の一端にも触れた。
ひとつの国を語るには、決して一部分からだけは語れない。
多角的に捉えることの重要性を学びながら、
旅を通じてもっとその視点を養いたいと思う。
Writer: 大谷 真由
京都の大学のユースホステルクラブに所属。現在大学3年。
「自分の知らない世界へ」をモットーに海外ひとり旅を続ける。
イスラームの歴史と文化が好き。夢はシルクロードを陸路で横断すること。
過去の記事
祈りの国ミャンマー・ぐるっと一周旅/前編