【協会】旅、時々ユースホステル『ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ』vol.2



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

ドイツ人の元ヘルパーによる
『自転車で日本一周というチャレンジ』


前回の話はこちら


パート2 旅の話 前半


◆最初の複雑な心境

2018年5月に京都から出発して
神戸に向かって走り出した。
頭の中はまだ大学のことばかりだった。

実は大学の卒業論文はまだ出してないのに、もう旅に出てしまった。
なぜかというと、出発を遅らせると最後は季節が変わり寒くなってしまうから。

来日したのは5月上旬だったので、
観光ビザの期間は10月末に切れる。
そのとき出発したのはまだいい時点だった。

これから数ヶ月で日本を周ると考えたら
あまり想像のできないことだった。
毎日、ただ自転車を漕いて
未知らない場所に向かって走るという繰り返し?

自転車旅は初めてだったし、
20キロ近くの荷物を積んだ自転車を
運転することもまだ慣れてなかったし、
これで坂道を登れるか、悪い天気の時はどうなるか、
案外な出来事が起きたら、危険な動物がでたら、
交通事故にあったら、怪我したら…

日本一周を成し遂げることができるかどうかは分からなかった。
とりあえず、途中で本当に嫌になったら
いつでもやめてもいいと心に掛けた。
でも、結局やってみないと分からいことだった。

◆すべてが第一歩で始まる

体が自転車旅に慣れるまで一週間がかかると聞いた。

2日目は意外と腕に少し筋肉痛。
クロスバイクはママチャリと違って
45度曲がった背中、腕で上半身を支える姿勢で走るからだった。

それに加えて重いリュックも背負ってたからだった。
お尻も痛かったけど,5日目くらいに痛くなくなった。
足はもともと鍛えたから丈夫だった。
確かに一週間くらいで常に感じてた苦労がましになってきた。

計画通り半年以内に終わるために、
休日以外一日平均100キロと最大1,000メートルの標高を
乗り越えないと間に合わない。

最初は7、80キロにして、少しつづ100キロまで上げるようにした。
その後は目的地によって時々120、130キロにもチャレンジ。

でも一週間目はまだ平らな道が多く、
大した坂道はまだ走ってなかった。

初めて高いところで走ったのは
高知市から四万十川市へ約300メートルの
七子峠を越えたときだった。
1、2時間かけてゆっくり登ったが、
ずっと続く坂道が辛かった。

自転車を下りて押すことが多かった。
その代わりに降りる時が楽しくて、達成感も感じてた。

その峠を越えたことで、
これからの坂道はもう大丈夫だろうと思った。


▲七子峠から見る風景。左奥の橋は高速道路。

しかも、もう一つの挑戦が待っていた。
それは初めての野宿。

それまではいつも安い宿で泊まったが、
場所によっては野宿は避けられないことだった。

人に見られないような場所を探すのが難しかった。
ようやく見つかったのは海の横、国道から見えない場所だった。

テントを張ろうとしたとき4匹の蚊が襲ってきた。

そうだ、蚊取り線香をつけるのを忘れてた。
でも、もう刺されてしまった…

テントの中で寝ようとしても、あまり寝れなかった。

数時間前に、野生の蛇と三匹の猿を見かけたが、
海沿いの国道と海の間にあまり緑のないコンクリートの上に
テントを張ったので動物は襲ってこないだろう。

それでも、波の音がずっと気になっていた。

海の波がかかってこないかという不安があった。

夜が明けるとやっと安心になり、自信がつき、
次の野宿は逆に楽しくなってきた。

でも、やはり寝場所探しを避けるために
できるだけキャンプ場を利用するようにした。


▲キャンプの様子

◆出発してから二週間、感動が止まらない

このような旅は初めてだったので、
毎日が非日常で、たくさん新しい経験して、
とにかく濃かった。

二週間しか経ってないのに、
すでに2ヶ月が経ったという感覚だった。

毎日見たことのない光景とたくさん小さな発見。

路上でも宿でも出会いがあって、他の旅人との交流。
「頑張ってください!!」通ってる車から応援の掛け声。
自分の体力でこんなところまで来たという感動と達成感。
行きたいならどこまでも行けるという自由。
自転車旅が楽しくてたまらなかった。

◆顔を知らない人との再会

岡山に泊まってたとき、寝ようとしたらドアにノック。

他の部屋が全部いっぱいだったから、
飛び込みの男性を同室に泊まらせる許可を
得るためにきたオーナーさんだった。

同じ部屋に泊まってたイギリスの女の人は
すでに眠りについていたし、
私もすぐに寝たかったので承諾した。

10分後、その男の人が部屋に入ってきて、
2段ベッドの上のベッドで横になった。

私はその人の下のベッドで寝ていた。
次の朝、部屋から出るときにまだ寝てた彼の荷物を見ると
黒いリュックサックの他に「広島方向」が書いてあるダンボールがあった。
ヒッチハイク用に作られたものと思われるが、
ヒッチハイクで旅するってすごいなと思った。

少し倉敷によってから福山に向かった。
ちょうどその日、福山ばら祭だった。


▲福山ばら祭

同じゲストハウスに泊まっていた人と知り合い、
一緒にばら祭りを見に行った。

宿に戻ったらもう一人の宿泊者と
楽しく話をしながら夕食を食べていた。

その時、飛び込みでダンボールを持った
オーストラリア人が来たという情報が入ってきた。

もしかして前日の飛び込みの人じゃないかと考えていた。
”広島方向”と書いてあるダンボールと
黒いリュックを持ってるかを聞くとスタッフがうなずいた。

事情を説明すると直接その人に伝えてもらえることになった。
「Yesterday you slept on the bed above me!」と
宿の名前を言ったら彼がとてもびっくりして、
その晩はとても盛り上がる話題となったらしい。

彼はずっと「This is crazy! Crazy!」を言い続けたそうだ。
そういう時、世界が狭いと思いますね。

◆雨と向かい風、慣れると何でも大丈夫になる

天気予報って当たるか当たらないか、
100%頼れるものではないけど、
それを使って走るか休むかを判断するのが毎日の課題だった。

「このくらいだけ降るんだったら大丈夫だろう」
と判断したらいきなり激しく降ってきた時や、
「明日は結構雨が降るみたい、明日は休もう」
と思ったら全然降らなかった時もあった。

梅雨入りのときには、かなりの確率で雨に当たった日があった。
天気予報によって夜になると雨が降るはずだったが、昼から降ってきた。

でももう宿を予約したし、今止めても、
どうするの?どこに寝るの?

雨の中で走るのが不愉快なことで、
とにかく早く宿に着きたかった。

休憩せず2時間雨の中で走り続けた。
通っていたトラックで水がかかってきた。

最後まで雨はやんでなかった。

ビショビショになった状態で、ようやく宿に到着。
一度このような最悪の状態を経験したら、
何でも大丈夫になる。

私にとって雨と坂道より辛いなのは向かい風。

雨は不愉快だけで、逆に早く走りたくなる。
坂道を越えたら、いい景色と楽しい下り道が待ってる。

でも向かい風の場合は、走るスピードがかなり落ちて、
中々前に進まない感じがする。

そうすると、移動時間が長くなり、
到着する前に暗くなるかもしれない。

普通だと10時間かかる距離が、
ずっと強い向かい風があった日に
同じ距離に13時間もかかった。

(つづく)


Writer: Wanying Tu
高校と大学の間に、1年間ワーキングホリデーで日本に。
その際に宇多野ユースホステルでヘルパーをしました。
ドイツ生まれ、ドイツ育ち、中国系のドイツ人です。
なぜか母国語であるはずの広東語より日本語のほうがぺらぺら。
「えっ!日本人だと思った!」というリアクションを旅で毎日のように経験しました。

過去の記事
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.1


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