【協会】旅、時々ユースホステル『ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ』vol.3



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

ドイツ人の元ヘルパーによる
『自転車で日本一周というチャレンジ』


パート1の話はこちら
パート2の話はこちら


パート3 旅の話 後半


◆知らないところに行ってみると、何か発見するかもしれない

ある日、兵庫県、城崎というところに入ったとき、
浴衣を着た人たちが普通に街で歩いてた。

「なんで多くの人々が浴衣を着てるかな?祭り?」
宿泊するゲストハウスに着いて聞いたところ
「ここは温泉地だから」と答えてくれた。
はじめてこういうところに来た私にとって面白いことだった。

基本的に行き先について何も調べずに行って、何があるか探ってみて、
何かを発見するかもしれないということを楽しむ。
先に知ったら面白さがなくなるし、先に知らないほうが感動する。

ご飯を買いに行って、戻ってきたら、
テレビ取材の依頼があって
そのゲストハウスについてインタビューされた。
旅中でまさかテレビに出るなんて…!


▲城崎にあるゲストハウスについてインタビューされた私

ちなみに、私の知人の中で3人が
たまたまこれをテレビで見ていたとのこと。


◆「旅は旅行と違って助けたり、助けられたりの連続」

東北、ある橋に向かって走ってたときに、
人が車から下りて、橋から写真を取っていた。

田んぼ以外何もないのに、なんでわざわざ車を下りて写真を取るんだろう?
自分が橋を渡ったら、田んぼにこの絵が描いてあった:


▲田んぼアート

このようなものを見たことのない私にとっては面白い発見だった。

写真を取ると同時に話しかけられた。
さっきまで誰もいなかったから、となりに急に人が現れて、びっくりした。
その人も自転車に乗っていたからだった。

その後その日の目的地周辺の自転車屋に連れて行ってもらい
前日に折れたスポークをただで直していただいた。
その代わりに「誰か困った人に返しなさい」と言われ、
その言葉に感動した。

次の日、天気予報では大雨だったから、休みにした。

昨日、橋で出会った方に花火大会に誘われた。
ほぼ毎日走るだけで忙しく感じていたのに、
まさか花火を見れるとは思わなかった。
楽しくて、本当にいい思い出になった。

実は、自転車屋さんでもう一人の方と知り合った。
その方に差し入れを頂いて、中に手紙もあった。

そこには「旅は旅行と違って助けたり、助けられたりの連続」と書いてあった。
今までの旅では、すべてが自分だけのチャレンジだと思ってきた私は、
この当然のように見える考えの素晴らしさに気づいた。
そして、その自転車屋さんに言われたように、
私は困った誰かに返そうと心に決めた。


◆長期間旅をすると、非日常が日常になる

4ヶ月がたったころ、感覚的に非日常なことが日常なことになった。

あまり新しい刺激がなく、
毎日8、9、10時間自転車をひとすら漕ぐという繰り返しになってしまった。

最初はすごく楽しかったのに、慣れてくると、
ただ日常なことになって、時々飽きてた。

「私は毎日なんてバカなことしてるんだろう!」
と思うときもあった。

でも、結局休んでも、3日間以上は自転車を走らないでいられなかった。
旅に出る理由を思い出すと決してやめようとはしなかった。

最後の20、10キロがいつもより辛くなった。

目的地まで行かず途中で
「○○まで行かない、今日はここまでにする」
という選択肢は私の中に存在してなかった。

甘い行動を重ねるとビザが切れるまで
間に合わなくなるかもしれないから。

そう、この自転車旅はマラソンだった。
つまり自分との戦いだった。


◆怪我で旅中止になるのか?!

九州は宮崎、都城と鹿児島の間、
森林の中の下り道でギアを変えようとしたら、
気がつくと自分の体が横になってた。

そう、私は転んでしまった。

まっすぐな下り道で転ぶはずがないのに、
なんでいきなり転んだんだろう?

道路をよく見ると、少しこけがついてて、
昨夜の雨でまだ滑りやすかったんだ。

目だけでは全く分からない危険だった。
でも自分の後ろに車がいなくて、本当によかった。

約30km/hの速度で下っていたので、
怪我は避けられなかった。

あごにちょこっとのすり傷。
両手は手袋のおかげで完全無事。
右膝はすり傷。
そして左膝がひどかった。痛すぎてあまり動けなかった。

初めて旅をやめるという不安に向き合った。
夢に見ていた自転車旅はここで終わりなのか?

でも、誰かに助けを求めようとはしなかった。

なぜかというと、自分の力で沖縄へのフェリーまで行きたかったから。
「…怪我しただけでここで止まらせるのか?!!!
骨が折れてるか分からないけど、足を動けるなら動こう!」
左足を曲げてみたら、感覚的には膝の内側より外側の方が痛かった。
多分折れてないだろう。

傷を包帯などで巻いて、破れたタイツを履き替え、ゆっくり漕く。
フェリーターミナルまで残り50キロ。

次の下り道で旅でもっとも危険なことをしてしまった。
痛みのせいか心が乱れたせいか、頭がちょっとおかしくなったみたい。

この自転車旅で出した、ナビによって最高速度60km/hで下っていた。

「誰が怪我した後にこんな馬鹿なことをするのか?!
しかも後ろに車がいたんだ!」と後から自己批判した。

転ばないように必死に運転に集中して、無事に下まで下って、
そして無事にフェリーターミナルに到着。

後日沖縄でレントゲンをとってもらって、骨は折れてなかった。
怪我した結果、沖縄に一週間も滞在することになった。


◆最後はもう早く終わらせたかった

沖縄ではもうバカンス気分に入ったから、
九州に戻るとあまりやる気がなく、
とにかく早く終わらせたかった。

残ってる九州の半周を周って、
そして同年10月に北九州のフェリーターミナルで日本一周が終わり。

次の日は神戸から京都まで戻り、
初日とほぼ同じルートを走ってた。

「あの時より遥かにうまくなったな。
ちゃんとバランスを取れるようになったし、
走るスピードも全然速くなった。」

宇多野ユースホステルに着くと「やっと終わった!」。

達成感はなかったけど、旅中でいろな挑戦で
充分達成感があったからかもしれない。

ただ5ヶ月間と思えないほど
長い長い旅が終わっただけ。

途中、自転車を修理に出してた間に
卒業論文を仕上げて、大学も卒業した。

ドイツに帰るまでは、自分はどんなことを
達成したかあまり実感できなかった。

(つづく)


Writer: Wanying Tu
高校と大学の間に、1年間ワーキングホリデーで日本に。
その際に宇多野ユースホステルでヘルパーをしました。
ドイツ生まれ、ドイツ育ち、中国系のドイツ人です。
なぜか母国語であるはずの広東語より日本語のほうがぺらぺら。
「えっ!日本人だと思った!」というリアクションを旅で毎日のように経験しました。

過去の記事
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.1
ドイツ人の元ヘルパーによる自転車で日本一周というチャレンジ vol.2


カテゴリー: ニュースリリース, 旅(ホステリング), 記事/旅紀行   タグ:   この投稿のパーマリンク

▲上部へ戻る