【協会】 旅、時々ユースホステル『私と宇多野』 vol.3 いざっハワイへ。



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~
『私と宇多野』 vol.3 いざっハワイへ。



皆さんは日常生活において、言葉を大切にしているでしょうか?
言い方を変えれば人とのコミュニケーションは
皆さんにとってどのくらい大切なものでしょうか。

人間には言葉という最強のツールがあります。
日常において交わす言葉は些細なものですが、
この些細な言葉でさえ困難な場合もあります。

もちろんこの言葉で人々の生活は成り立っているわけですが、
もし言葉も文化も宗教も全く通じないところに
いきなり放り出されたらどうでしょう?

何も理解できない、理解さえしてもらえない環境は怖くないでしょうか。
もしくは新しい発見や出会いに心躍るでしょうか。
今回は私の多感な時期に起きたお話をさせていただきます。

前回の記事でお話ししたように私は小学校卒業と同時に
ハワイへ移住することになりました。

日本に残る選択肢も多少はあったようですが
やはり両親についていく人生が妥当と私自身も判断しました。

日本に残れば近所の中学校に通い、家族や友達と離れることもなく、
頭の良い高校に進学し、いやそれは夢の話ですね。

それはそれでまた違った人生だったかもしれません。
人生何事においても選択ですね。

ハワイに絶対に行きたくない、京都から絶対に出たくない
という私の想いも届かず2006年4月15日、
私は全ての想いを京都に残しハワイへ出発しました。

ハワイに半ば強制的に移住させられた私は、
この先やっていけるのかというとてつもなく大きな不安、
それとは別になんとかなるという根拠のない自信が
思春期の私に襲いかかってきました。

ハワイへ出発する時はさすがに私一人ではなく
叔母が付き添いできてくれました。
大好きな叔母と一緒だったので少しは気が楽でした。

家族みんなが空港まで私を送ってくれたのですが、
お寺から空港に向かう際にひと泣き、空港についてひと泣き、家族と別れてひと泣き、
飛行機が離陸してもうひと泣き、実は前の日からずっと泣いてました。

当時の私の中では生と死を分けるほどの選択だったので
本当に悲しかったんでしょうね。今になっては笑い話です(笑)

さあ飛行機に乗ったが最後、ここから言語という壁にぶち当たるわけですが、
私は勉強が大嫌いだったので英語を全く勉強せずにハワイへ飛び立ちました。
あの時もっと「勉強しておけ」と過去の自分に言ってやりたいです。

飛行機の中でこれから大丈夫なのかなと
不安がっている僕を励ましてくれた叔母には感謝です。

ハワイ到着後はひとまず両親、妹、おばあちゃんとの再会を喜びました。
ハワイについた直後は勝手な想像で「旅行に来ている」
と自分に言い聞かせていたので別に悪い気にはならなかったです。

確か一週間はのんびりハワイ生活を満喫していました。
ですがいざ学校が始まると、緊張しがちな私は
ましてや英語も「ハロー」しか話せないのに
急に現地の学校に送り込まれもうパニック状態です。

そして小学校を卒業した私は中学へと入学ではなく
なぜかまた小学6年生から!?

現地の子供たちは私のことを受け入れてくれるのか、
言葉が通じない国で生活できるのかそれはまた次回お話ししたいと思います。


Writer: マツカゲモンタク(Taku M. Cossey)
生まれは京都宇多野、育ちはハワイオアフ島。
宇多野、ハワイを愛し愛されたハワイアン僧侶。

過去の記事 
『私と宇多野』vol.2 出家?ハワイ移住?
『私と宇多野』vol.1

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