【協会】旅、時々ユースホステル『僕とオーストラリア』vol.6 タスマニア旅



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

僕とオーストラリア vol.6

今回は私が当時通っていた語学学校で知り合った友人3人と
タスマニアに行った時の思い出をお話しします。

初日、朝一番の飛行機でメルボルンの
タラマリン空港からタスマニア、ホバート空港へ。
空港に到着した後はレンタカーを借りて出発。

タスマニア州の州都ホバートの街中をチラッと見て回り、
その後「ポートアーサー」という、昔イギリスやアイルランドから
島流しにされた人たちを収容していた刑務所跡地へ向かいました。

道中、リッチモンドという町では
タスマニア最古と言われる橋を通りかかったので1枚。



そしてなんやかんや車を走らせると
ようやくポートアーサーに到着!


ポートアーサーのことは最初「刑務所」と聞いていたので
大きい閉鎖的な建物が一つあるものと思っていたら、
こんな風に建物はあるのですがそれ以外の敷地がとても広い!



1877年に閉鎖されてから観光地として発展するまでの間に
火事や風化などで廃墟化が進み、所々崩壊しています。



私は廃墟が好きなのですが、
それはかつてその場所でどういった生活が
営まれていたかを想像するのが楽しいからです。

ポートアーサーには良くも悪くもその生活感というものがありませんでした。
レンガ造りの壁、木の扉、床材は無くなり、地面から草花が生い茂り、
屋根はとうの昔に崩れ落ちていました。

その当時の生活を想像することはあまりに朽ち果てていたため難しかったですが、
ただ打ち捨てられた“廃墟”と歴史的な価値から保全されている“遺産”の違い、
そしてなぜ人々がこの建物を残そうとしたかを
“理解する”というよりも“感じる”ことができる
ポートアーサー全体の雰囲気が素晴らしかったです。


そしてここからは余談ですが、
日が沈みポートアーサーから宿へと、
街灯一つない真っ暗な中を運転しているときの事。
道端に無数の赤く光る物体が車のヘッドライトに反射されていました。
光の正体はカンガルーやポッサムなどの野生動物の目。
車の脇を見ると彼らが大小何頭も連ねて飛び跳ねていました。

彼らは夜行性なので夜に活動します。
道路の端に座っていたり、車と並走したり、
道の真ん中を横切ったりと、何度も轢きそうになりました。

そういえば空港でレンタカーを借りる際に、
「もし夜間運転中にカンガルーやポッサムが車道に
飛び出して来たらそのまま轢くのよ。
下手に避けようとするともっとひどいことになるから。
できることなら夜の運転は避けた方がいいわね。」
と受付のおばさんに言われました。

運転していた私の友人は
「もう二度とタスマニアで夜の運転はしたくない…」
とつぶやいていました。
現地の人の忠告はちゃんと聞いておいた方がいいですね…!

2日目に続く…


▲ポートアーサーから見た海


Writer: 吉村伊久人(Yoshimura Ikuto)
1992年”ギリギリ京都市”の異名を持つ僻地、山科区生まれ。
オーストラリアでの一年のワーキングホリデーを通して旅に目覚めました。
様々な場所から京都に来られる人をもてなす仕事がしたかったので
現在宇多野ユースホステルのスタッフとして働いています。





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僕とオーストラリア vol.5 ゴールドコーストとスケボー
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僕とオーストラリア vol.2 スケボーと愉快な仲間たち
僕とオーストラリア vol.1 ホームステイ初日

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