【協会】旅、時々ユースホステル『軍艦島』



■ 旅、時々ユースホステル~旅やユースホステルに関するエッセイ~

軍艦島




昔からその名前は知っていて、ドラマや映画にも登場するため
一度行ってみたいと思っていた場所でした。

正確な名前が端島(はしま)というのも
今回ガイドさんに聞くまで知らなかったくらい
何の前知識もないまま行きました。

ガイドさんによると、1810年に最初の採鉱が始まり、
1974年に閉山するまでの間に周囲1.2kmしかない島に
最大5,000人超の島民が住んでいました。

そしてつい最近、2015年に世界文化遺産に登録されました。
島へ上陸する前に周りをぐるっと一周回るのですが、裏側はこんな感じです。



こちら側は人が入れないので船からしか見ることができないそうです。
窓はすでに取り外されたのか吹っ飛んだのか、無くなっていて
その奥には何も見えず、反対側の窓が見えるだけでした。

海に面している為、潮風や台風などの影響で
陸にある廃墟とは比べ物にならないくらい風化が進んでいます。

上陸して奥に進むと、元がどんな建物だったか想像できない
予想以上の荒れようでした。



抗夫が炭鉱へ入っていく出入口の階段も
今は観光用に鉄骨で補強されています。



その階段の周りは事務所があったそうですが
今は瓦礫の山が広がっていました。





その先を進むと製缶場だった建物が
中身をくりぬかれたような状態で残っています。





観光で立ち入りできる最奥から見える建物がこちらです。



この真ん中の少し暗い色の建物が日本最古の
鉄筋コンクリートの7階建て高層アパートと言われています。

石炭がまだ主な燃料資源だった頃の端島はまさにバブル状態で、
本州でカラーテレビ普及率が10%だったのに対し端島では100%。
つまり全家庭に普及していたという話もガイドさんがしてくれました。

この高層アパートも、当時では考えられないほどの
費用をかけて建設された建物だったそうです。

それが石炭から石油へのエネルギー転換が起き、
石炭の需要がなくなり端島で働く人たちは
他の場所で仕事を探さなければいけなくなりました。

その結果今の端島があるというわけです。

多くの人が働き、国が莫大なお金を費やし、
海を埋め立てて作り上げた島が、
かつて日本中の人が注目していた炭鉱が、
たった一つの出来事をきっかけに人一人いない場所に変わってしまう。
私はこういった場所がすごく好きです。

たくさんの人がいて、熱気や活気のあった場所の廃墟は
寂しさが他のものとは別格で、端島は建物の中まで見れないのが残念でしたが、
それでもその寂しさは体に伝わってくるものでした。

廃墟には全て人がいなくなるまでのストーリーがありますが、
ここまで長い歴史の中に栄華を極め、朽ちていった廃墟は少ないと思います。

もともと賑やかな場所はあまり好きではないので、
こういう人のいない、いい意味で寂しい場所に行くとウキウキしますよね。
誰にも邪魔されずに数人の友達と山奥の廃墟でボーっとしてたい…
喧騒からは遠い場所で生きていたい…そんな気分です。


Writer: 吉村伊久人(Yoshimura Ikuto)
1992年”ギリギリ京都市”の異名を持つ僻地、山科区生まれ。
オーストラリアでの一年のワーキングホリデーを通して旅に目覚めました。
様々な場所から京都に来られる人をもてなす仕事がしたかったので
現在宇多野ユースホステルのスタッフとして働いています。





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僕とオーストラリア vol.8 Ross & Cadbury
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僕とオーストラリア vol.6 タスマニア旅
僕とオーストラリア vol.5 ゴールドコーストとスケボー
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僕とオーストラリア vol.3 語学学校とメルボルン生活
僕とオーストラリア vol.2 スケボーと愉快な仲間たち
僕とオーストラリア vol.1 ホームステイ初日

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